枚岡教会創立 52周年記念 特別伝道集会について
                                                                  2002年7月

 私達の教会は今年の7月で創立52周年を迎えました。終戦後5年経った昭和25年、まだ大阪市は爆撃をうけた傷跡がいたるところで生々しく残り、復興の兆しが軌道にのって焼跡にはバラック小屋が建ち並んでいた頃、このあたり枚岡の周辺は見渡す限り水田一色の風景でした。こんな中、縄手町(現在の東大阪市昭和町)という小さな集落にキリストを信ずるごく少数の人達が一所に集って家庭集会をしていましたが、この集会に大嶋牧師(現在当教会の名誉牧師)をお招きして出来たのが枚岡教会のはじまりです。

 それから52年間、キリストを信じる小さな群れが次第に成長し現在のような大きな教会になりました。このような教会の一歩一歩あゆみ行く姿を年に一度は心に留め、信仰の喜びを皆様にも共に知っていただこうと、毎年7月中旬の日曜日には創立記念を感謝する特別伝道集会を行っております。中でも特に区切りのよい10年目毎にはその喜びを表すにふさわしい盛大な集会と10年を単位とする教会あゆみの記念誌を発行することを常としています。この一環として記憶に新しい一昨年の716日は、丁度創立50周年目にあたりましたが、この年には讃美歌を歌う聖歌隊の伝道や、キリスト者専門歌手の歌声を楽しむ伝道集会等、形をかえた3度の特別伝道集会を行いました。又、この年末には教会員皆さんから原稿を集め、ここ10年間にあった教会の出来事と、今ここにある教会の人々の喜びを綴った50周年記念誌「あゆみ」を発行しました。

この間に位置する中間年度はこれといった大きな催しはしませんが、毎年7月中旬の創立記念日には特別伝道礼拝を行うのを常としています。

 この特別伝道集会とは普段なかなか教会に親しみがもてず、おこしになることの出来ない一般の方々にも広く教会で話を聞いて頂こうというのが目的です。このためわかり易いことをモットーに、他教会からも広く経験ゆたかな牧師さんやキリスト者の方々を呼び、興味あるお話をしてもらって、その中からキリスト教を知っていただこうという催しです。その中には戦後めぐまれぬ環境に生れ育って牧師になられた全盲の音楽伝道牧師の話や、現在世界の貧困な国々で活躍されている日本キガ対策機構の牧師さんの話等々があります。

 そんな中にあって本年度は特に女性の感覚から話をしていただこうと現在大阪の伝道所で牧会しておられる女性牧師市川先生の話を聞きました。この内容は別項に紹介しましたように、万人に迎え来る死に直面して、キリスト者はこの苦しみを通して永遠の希望につなげるという力強い内容でした。

 私達一般に健康な体に恵まれて日常忙しくたちまわっている人間は、自分の今の事で心がいっぱいで、中々自分の死について忘れがちです。ふとした時に「死んだらどうなるんやろ」と一物の不安がおしよせますが、「もうそんなこと考えてもしゃない」と思いなおすのが常です。しかし私達は、自分の死から逃避せず臆せず信仰によってこれをしかと見つめる事こそが、私達がとらねばならぬ真実の態度です。この死を真に受入れて喜びに変えた時、自分が今まで感じていた不満や臆病、苦しみや不安が、そのままで私が今ここで生かされている喜びに変わります。

 教会とは思い込ませるという所ではありません。真理を伝え、これを納得いくまで学ぶ開かれた場です。一人でも多くの方々が世界宗教とよばれている偉大な宗教の真理に目覚め、臆病心ではなく神様にむかって自分の心を開き、大胆に生き抜く人生にかえられて行く事を願いつつ教会はいつでも皆様の来られるのをお待ちしています。    木原和彦                       

創立52周年記念日に行われた 特別伝道集会説教の概要

 

 「しっかり立ちなさい」    新約聖書 コリントの信徒への手紙T、155058

説教者 市川和恵牧師(長居伝道所)

 私達の心はなかなかその場所にしっかりと立つ事はできない。「しっかりと立つ」とは座席と深い関係にあるのはおもしろい。「しっかり立つ」とは、神のみ言葉の座につく、しっかりあなたの信仰の座席につきなさいという意味だ。

 私のいた大阪教会の信徒で五年前に召された人の話。その人はドクターだった。名誉あり地位があったが、大へん謙虚な人だった。礼拝時には何時もきまった同じ席に座っておられた。亡くなる78年前に手術されて健康を害され、続いて知力低下、アルツファイマーをひきおこされた。この病気で何もかも記憶を喪失してしまわれたが、決して忘れられない事があった。それは礼拝時に奥様と共にこられるが、きまって自分の席に座られるという事だ。しかし病状が次第に悪化し、ついに教会の礼拝にも出てこられなくなった。

 それからは奥様と家庭で礼拝を守られた。お祈りして食事をする。ある忙しい日、食前奥様のされた短い祈りに気がつかれず、その人はなかなか食事に箸をつけられなかった。先に箸をつけてしまった奥様は、それに気付いて思わず「ごめんなさい」といったエピソードもあったという。亡くなられる23ヶ月前、その人の宅を訪問した時、全ての記憶を喪失しておられた。言葉も家族の顔も忘れてしまわれた。このような状態にあったが、牧師の私達がそのお宅を訪問した時、ふと非常にうれしい顔つきをされた。

すべてがわからなくなっておられるのに、何故あんなうれしい顔つきをされたのか、教会を思い出されたのか、教会での自分の座席を思い出されたのではなかろうか。

 

 次第に言葉少なくなって来た頃、その人の記憶に最後まで残っていた言葉は「ありがとう」「ごめん」「アーメン」だった。 私達はこのことにどれだけはげまされたことか。彼はイエスキリストの信仰にかたく立ち、何ものにも動かされなかった。そして最後までこの言葉が残ったのだ。生きざまが死にざまになった。

 

 イエスキリストは私達の罪を負って十字架にかけられ、そして復活された。この十字架と復活の出来事は、この私に代って私の罪を負いこれをゆるして下さるという神様の宣言だ。この復活信仰こそ私達に望みを与える。私達はゆるされた罪人として生きていく。私達も死んでキリストと共にに甦ることが出来る。

 パウロは言う。「朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことは出来ません」(50節)と言い、「最後のラッパとともに…死者は復活して朽ちないものとされ、わたしたちは変えられます。」(52節)と言う。私達も朽ちないものに変えられるのだ。パウロは変えられた人だ。もとはと言えばキリスト者を迫害した張本人、迫害の張本人が伝道者パウロに変わった。復活のイエスに出合ったからこそ変えられたのだ。立派だから変えられたのではない。

 

 先ほどの話のドクターは戦争中軍医として死と向き合っていた。彼は戦争から帰り、「自分が生きているのでない、生かしていただいて生きている、と思った」と言われていた。一人の信仰者として、一人の生を与えられた者として座っていた。復活のイエスを知ったときパウロは迫害者から伝道者に変えられた。同様にこの人も変えられたのだ。

 キリストの十字架こそ、神の御子の十字架、私達の罪をゆるすための十字架、復活は罪のゆるしの宣言だ。これは知恵や力ではわからない。御霊によらなければ、これは信じられるだろうか。 「朽ちるものは朽ちないものを着る」(53節)とは神の約束の言葉だ。さらにパウロは続ける。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(5455節)と。死のとげはイエスの十字架で取去られたのだ。

 死は誰にでも来る。しかし死は終りではない。確かに人間の力は終る。人間のいかなる力も努力も死を打ち負かすことは出来ない。しかしキリスト者にとって死は最後ではない。死は最後ではないと宣言して死ぬ事が出来る。

 イエスは「わたしを離れてはあなたがたは何も出来ない」(ヨハネ福1515節)と言われる。たとえ私の力がどんなに小さかろうとも、アルツファイマーの病におかされようとも、主につながらせていただくことが出来る。、「ありがとう ごめん アーメン」これは神様、主のなせる業である。彼は主に生かされる人生、信じ感謝しつつ悔い改めの人生をまっとうされた。

 

 ただ先に召された人々、イエスを信じることを知らずに去った人々はどうなるのか。それはあなたのとりなしの祈りでキリストの復活に捉えられるのだ。すべての人のために、イエスは十字架にかけられた。

 キリストのみ言葉を今日も聞く。身を低くして十字架に至るまで主のみ足のあとを謙虚に歩む。今日初めて来られた方もどうか教会の生活を始められよ。キリストのみ足のあとを信じて歩めばいいのだ。主が低くなられたように謙虚に歩め。水が低いところに留まるように、低くなられた人のところに、主のみ言葉が留まる。   (記 木原和彦)