枚岡教会創立 53周年記念 特別伝道集会                          2003712

        「憎しみに打ち勝つ力」   ヒューブラウン先生

 

 私は、1957年北アイルランド生れ、その唯一の都会であるベルファウストの下町で育った。兄弟は6人で双子の一人。 北アイルランドは、エメラルドのような緑の美しい、人口は150万人、島の1/31/4の狭い土地に住んでいる。 男達の中で認められる条件は、@けんかが強い Aサッカーが強い の二つです。 私が小学校に入学した頃、けんかをわざとさせられ、勝って強いイメージを持たれた。9才の時、2回目に知らない人とけんかをさせられて勝ち、それ以降けんかをする必要がなくなった。

 12才の時に北アイルランド紛争(イギリス系住民対アイルランド住民)があった。IRA(テロ組織)もイギリス系のテロ組織も、どちらも教会に近づかない無神論者であるが、これは日本で宗教戦争と誤解されている。

 私の両親は、私が7才の時にクリスチャンになった。ベルファストの町では日曜日に教会へ行く人がいないので、双子の弟と私は不満を持つようになった。そして教会の献金を盗む迷惑をかけてしまった。 12才の時に両親に教会をやめさせてもらった。以降、双子の弟と私は不良少年になった。

 14才の時、小さい頃からあこがれていた(民族の英雄になりたい)テロ組織に誘われて迷わず入った。15才で拳銃や爆弾の使い方を習う。対立組織に拉致され、拷問を受け、足に銃を打たれ、立てない、歩けない。殺されるところで助かった。奇跡的に助かった事が5回あった。その頃は神の存在が分かれないので、自分は運が強いとしか思えなかった。

 18才の時に、テロ組織の資金集めの為に銀行強盗をして入獄(刑務所はテロリスト専用の収容所のようなところ)2年半過した中で私の人生が変わった。

1)自分の罪とはどんなものか、――天地創造の神を知らないで生きている。

  2)十字架の意味――私の罪の為にイエス様が死んで下さった。

この2つの事は、十字架(イエス・キリストが冤罪で処刑される十字架の場面)を見て、今までの自分中心的な行き方を心から悔い改めて、人生を歩む為の解決が出来た。

 何度も命を助けられた不思議な体験は、母親が私のために毎日祈り続けてくれた祈りに、神様が応え、守って下さった事と思えるようになった。家族の中に一人でもクリスチャンがいて家族の為に毎日祈る事は、家族にとってどんなに大きいことか、想像をこえる神様の祝福と恵みがある。

 天地創造の神は実際におられる。神様の前に率直になって、「私の罪を許してください」と祈り始めた時、神様と出会う事が出来、神様の愛が分かり、人の命がどんなものか分かった。

 家族の愛情の体験によって、テロ活動への歯止めが備わっていた。日本に17年間住んで、遊ぶ気持で人を殺す日本の子供の犯罪を見る時、考えさせられる。神様に造られ、神様に生かされるものは、人を傷つけたり、命を奪ったりしない。私は神様の愛を自分の体験で知った時、@人を許す A神に委ねる B憎しみから解放される これら3つの事が出来た。

 北アイルランド紛争の33年間、それが終わることが出来ない原因は、憎しみにやり返しをするところにある。神様の愛を知って許せるようになって、和平合意に貢献している元テロリストの人々が何百人もいる。

 聖書を読んで知識だけで終わってはいけない。体験が大切である。 私は家庭の愛情、神様の愛により、本当の命の尊さを知る事が出来た。

「だから、キリスト・イエスと結ばれる人は誰でも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒の手紙U 5章17節)