枚岡教会創立 55年記念 特別伝道集会                  2006年7月10

「愛は脳を活性化する」          漫画牧師 春名 康範

 人間は愛されていると思うと、脳だけでなく体全体が活性化してくる。体中の細胞が活性化する。
人間の細胞は、どの細胞もどの部分にもなることができるのに、爪なら爪になるということのみに
ONにして、あとはOFFにしている。

 その証拠に、交通事故で植物人間を宣告された子供に、親が語りかけ続けた結果、リハビリが
できるまでに回復する、といった「奇跡」は私たちの身の周りでも起こっている。

 人間だけでなく、動物も植物も愛されていると感じたら活性化する。愛をもって接したら、動物や植物とも細胞同士で
感じ合える。

「愛されている」の反対は無関心である。1980年以降、アメリカで異常な殺人が増加している。犯人の生い立ちを調べて
みると、どの犯人も子供のときから愛されたことがない、受け入れられたことがない、という男性であった。
彼らは、社会への復讐として殺人事件を起こし、達成感を味わっているのである。日本でもそういう事件が起こっている。

 犯人は「認めて欲しい」と叫んでいる。犯人を厳罰に処しても、こういった犯罪はなくならない。少年2人が道頓堀に
ホームレスを投げ込んで殺した事件についてのルポによると、この少年もホームレスだった。うち
1名はてんかんの持病が
あった。そのことでいじめられていたが、両親もそのつらさをわかっていなかった。中学卒業後就職したが、仕事中に発作が
出るのですぐ解雇され、結局ホームレスになった。もし両親がこの少年の苦しみを受け止めていたら、この事件は起こら
なかったかも知れない。人間の心を失ったような人も、その人を受け入れたい、という人が現れると、(愛されると)
その人は変わる。

 お互いに認め合い、感謝し合うことで人生も変わってくる。それまでは勉強しなかった自分も牧師に「君は漫画を描ける」
と認められ、牧師のようになりたいと思うようになり、自分の方から勉強するようになった。人間の能力の大部分はOFFに
なっているが、ほめられて、自分の存在意義を感じると、やる気になる。愛を感じたら、人間の才能が目覚める。ほとんどの
人間は、能力の1%も発揮しないまま、人生を終わっている。

 それでは、何をほめるか。無条件に、存在していること、家族の一員としていてくれることをほめる。
 それが、キリスト教でいう、アガペー(無条件の愛)である。条件付きの愛(フィリア)や本能的な愛(エロス)ではない。神の愛を感じることができた者が、無条件の愛で、隣人を愛することができる。

聖書に「汝の若き日に、汝の創造主を覚えよ」とあるが、神からその人に与えられた使命に目ざめて、自分の役割を担おうと思うようになるとき、その人の可能性はONになる。

人が「愛は脳を活性化する」に目ざめたとき、その人は輝く。被造物はすべて、愛によって輝く。                           (文責 中村 聡)

   







 春名康範先生の著書の中から

  しかし、私が気になるのは「どう生きるのか」ということとともに、このような
事件が頻繁に起こっても何も反応しなくなったこの国我々のことである。
 「どう生きるのか」でなく「なぜ生きるのか」でも「何のために生きるのか」でも
なく、ただ「生きるのか」ということを問題にしなければならない時代である。
 無関心、無感動、無気力が私たちを支配して、「どうせ」「どうしてみても」
「どうなろうと」、そんな溜息が聞こえてくるようだ。
 しかし、私たちは怒ってもいいのだ、泣いてもいいのだ、自分の考えを言っても
いいのだ、人と違った考えでもいいのだ、もっと心の底から笑ってもいいのだ。
 おもしろくないことや、空しく感じることが多くあるけれども、世界や人間や
自分に関心を膨らませて生きよう。「生きる力」をパワーアップしよう。

(『−キリスト教との出会い−生きる力』日本基督教団出版局より