枚岡教会創立 57年記念 特別伝道集会        2007年7月8日

            「教会がいちばん 
                                  小林貞夫先生(山梨県、日下部教会)    報告:伊達山正人
                                             ローマの信徒への手紙826-28

 私の父は盲人でした。子供の時に麻疹にかかったのが原因で、12歳のときに完全に失明しました。地元(山梨)では盲人に教育ができないので、馬車に乗って、東京へ行きました。帰るころには中央線が開通していたので、鉄道で帰ってきました。学校で習うことは針灸だけで、英語は教えてくれない。熊谷鉄太郎先生に習いましたが英語は全くものにならず聖書だけものになりました。私は2代目のクリスチャンです。

 父は家で開業していたので、教会には行かずでしたが、私が行くことは喜んでいました。戦争が負けかかっているときから行き始め、まもなく日曜礼拝出席3千回になります。

 堺の中高生修養会で、大嶋先生が、「君たちは英語で苦労しているだろうけど、アメリカでは、乞食でも英語をしゃべるだろう。」と話されました。生まれた土地の言葉は苦労しないで身につく。めぐり合いが大事だ。邪教―-原理とか――に出会ってしまって引っかかってしまった若者たちを見ると無念残念です。私たちは、教会にめぐり合えて幸せです。
 今日の礼拝で歌った賛美歌513番(11番も)はチャールズ・ウェスレーが作りました。
この後で歌うアイザック・ワッツの賛美歌(138)とともにたくさん収録されています。

 チャールズ・ウェスレーはジョン・ウェスレーの弟で、兄を助けました。(しま)いっ子で、甘えっこで、母の愛を独り占めして、教会員からもちやほやされて。のちに牧師になり、アメリカに伝道に行って大失敗して、賛美歌を作りました。彼の賛美歌は「愛」、「甘え」、「愛されている」、「祝されている」に満ちています。

 アイザック・ワッツはお父さんが牧師でしたが、国教会が固定化したころで、「教会はもっとダイナミックなものだ」と言って、追放され、ロンドン塔の牢獄につながれていました。お母さんが毎日、ロンドン塔に行って祈ったといいます。ジョンは背が5尺(150cm)あまりと小さく体も弱かったのですが、それでも賛美歌の作者になりました。「憂い」、「悲しみ」、「絶望」を歌っています。「世の富は塵にぞ等しき」。「賛美歌」には彼の作品が十何曲も採用されています。

 教会には性格の明るい人も暗い人も来る。人に心配されるような人も来る。悲しみの極みにいる人が賛美をする。団塊の世代の人たちが退職して、この後どうすればいいかわからんという。教会に来ればいいのに。どんな人も受け入れる仕掛けが整っています。

 万事が益となる。年をとることも益となる。病気になることも益となる。健康でいたい、天国にはさっと入りたい、大学に入れるように、そのように祈ることは大切です。でも家で祈っているだけではだめです。教会が起点です。

 「病気になったらおしまい」、「大学に入りそこなったら一件落着」。教会はそうではない。すべてが益になるのです。                               (伊達山 正人 記)

  教会研修会(午後1時−3時)      お話:小林貞夫先生(山梨県、日下部教会)

   1.「反抗期ではおそい」―責任ある子育て―  コヘレトの言葉119-121

 学力テストは40年前に廃止になって、また再開されるが、以前、その平均点が最も高かったのは、香川県だった。なぜ、東京や大阪などの大都市ではなく香川なのか? 原因は未だに解明されていない。私は幼稚園の普及率第1位が香川県だったことと関係が深いと思う。

 幼児教育の重要性はいくら強調しても足りることはない。公立学校では、教科、スポーツは良いが、心の教育ができない(禁止されている)。

 希望があるとすれば幼稚園のとき。反抗期では10倍ぐらい手間がかかる。教会学校、ボーイスカウトに入って、神様のことを聞く機会があることは恵まれている。

 子供で間に合わない人は孫で、孫で間に合わない人はひ孫でがんばってほしい。「うちの子が反抗期で…」と相談されるが、「手遅れだなー」と思う。 聖書に「若い日に」とあるのは、今の日本では「幼い日に」ととるべきだろう。幼い日にあなたの造り主を覚えるべきである。

 2.「世界で通用する人に」―  今は21世紀― コリントの信徒への手紙二1311-13

 キリスト教は本家という主張・自信を、私は教会学校教案誌の中に書いている。2000年の歴史がある。エジプトは5000年の歴史というが、ピラミッドを見てきた祖先たちは、自分たちの神の方がすごいと思った。もっと大きなピラミッドとは思わなかった。原爆にも石投げで対抗する。決してもっと大きな原爆ではなく。

 昨年、教会の知り合いのお嬢さんが結婚した。相手はキリスト教のキでもない。「お嫁さんはクリスチャンです。教会に行きたいといったら行かせてやってほしい」と挨拶した。

 今は21世紀、外国との付き合いも多くなる。外国との付き合いで理解しないといけないこととしては、キリスト教が大事だ。日本では、少子高齢化でキリスト教も先細りと思う悲観的な人が牧師先生の中にもいる。しかし世界ではクリスチャンが20億人もいる。たまたま今の日本では形勢不利だが、世界では多数派なのだ。           (伊達山 正人記)