創立記念研修会 2009年07月19日(日) 午後1時20分〜3時20分
講演「教会の豊かさ―神の民共同体として―」講師 今橋朗牧師(日本聖書神学校校長)
聖書 レビ記19章1節〜2節・マタイによる福音書28章16節〜20節
 
教会の豊かさとは、教会という集団が他のタイプの集団とどのような違いを持っているかということである。
一般に教会をあらわす「図形」は十字架の印である。十字架の縦の棒で神との関係(礼拝)、横の棒で隣人との関係(宣教)をあらわす。教会という建物で礼拝と宣教が行われるということをあらわしている。そして、その交差するところで、イエスキリストは死んでくださった、という意味での十字架である。
教会は礼拝と宣教の緊張関係をもっており、この2つの焦点をもつ統一体である。マタイ28章16〜17節は礼拝のことを書いている。ここに出てくるイエスを主と仰ぐ「弟子」は集められている。ここでは教会は集められた共同体である。しかしこの弟子たちは社会に散らされていくとそれぞれの場所で「使徒」として働く。ここでは教会は散らされた共同体である。集められた共同体と散らされた共同体の緊張関係が教会を生き生きとしたものにする。
教会を、人間の集団を研究する社会学からみたとき,まず、人間の集団は以下の4つに分けることができる。

@組織体 A共同体 B運動体 C烏合の衆(不特定多数)

民数記1章1節で、イスラエルの人々は「共同体」と書かれている。共同体は、社会学のみならず、聖書用語として使われている。したがって、教会とは共同体であるといえる根拠になる。
教会が信仰の共同体であるかどうかは、礼拝においても、社会奉仕においても重要である。組織体にはある目的がある。極端なものは軍隊で、会社もそれに近い。学校もそうなりつつある。教会も組織は必要だが、基本的に教会は組織体ではない。また、運動体は目的意識のみで集まっている。教会の中に目的意識によって集まった運動体はあるが、それは教会そのものではない。
信仰の共同体である教会の特色として、その構成メンバーが「重層世代」(少なくとも4世代)でなければならない。これがうすくなったとき、教会の力が落ちる。重層世代の幅の広さが、教会の豊かさである。このような特色をもった共同体は教会しかない。
また、教会という共同体には原初(げんしょ)の物語がある。「そもそもこの教会が存在するのは-----------」といった物語のことである。私たちの理解を超えたそもそもの物語が存在し、重層世代を貫いてその原初の物語が伝承されていく儀式が「祭り」である。(軍隊、会社などではこの物語が捏造される。)教会という共同体では「祭り」=礼拝である。
共同体のメンバーは、共同体でのはたらきを問われることはない。帰属の保障がそれを許している。聖餐、洗礼がその印である。共同体である教会では、シンボルの意味がわかる同意の体系が成り立っている。ローマ帝国、ソ連のような組織体は滅びても共同体である教会は残る。
(中村 聡 記)

<今橋牧師プロフィール>
・1932年生まれ。慶應義塾大学卒業、東京神学大学大学院(旧約聖書学)修了、米国ギャレット神学校 留学(キリスト教教育 ・礼拝学)
・日本基督教団大井金子教会、南久が原教会、蒔田教会牧師を歴任
・東京神学大学、青山学院大学、東洋英和女子短大講師、日本聖書神学校特任教授を歴任
・主な著書「礼拝を豊かに−対話と参与−」、「よくわかるキリスト教の教派」(共)、「よくわかるキリスト教 の音楽」(共) 「よくわかるキリスト教の暦」(共)、「キリスト教礼拝・礼拝学事典」監修 他多数