「神の働き場」09.1.18
 コリントの信徒への手紙一 3:1〜9
 
 主イエスを信じて洗礼を受けた者は、主イエスのものとされて救われた者です。
しかし、洗礼は到達点ではありません。信仰生活の出発点です。救われた者
としての恵みを味わいながら、信仰が深まり成長していくのが信仰生活です。
 「あなたがたは神の畑」と言われます。御言葉を信じて受け入れたものは
「良い地」です。主イエスは「種を撒く人のたとえ」で、良い地に落ちた種は、
100倍の実を結ぶだろうとおっしゃいました(マルコ4章)。コリントの教会員も
私たちも、そのような良い地だと言われるのです。しかし、この時のコリントの
教会は、乳しか飲めない幼いクリスチャンであって、固い食物が食べられない、
未成熟な教会でした。妬みや争いが絶えない未熟さがありました。
信仰の成長が必要でした。
 どのようにすれば、成長するのでしょうか。固い食物を食べることの出来る大人の
信仰者は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された人だと御言葉は教えて
くれます(ヘブライ5:12-14)。神のお喜びになることかどうかを、教会でも家庭でも
職場でも問い、考え、行い、語るという経験を重ねながら訓練されて、信仰が
成長していくのです。

 未成熟な信仰者は、自分の楽しみや喜びを考える所にとどまっています。
主や兄弟姉妹に与えることよりも、自分が得ることに夢中です。子どもが大人の世話に
なっているように、信仰生活も初めはそれでよいのです。しかし、子どもは大人になって、
今度は世話をする側になるのです。自分がしてもらったように、幼い者に愛情を注ぎます。
私たちも自分の信仰生活のために、多くの方の奉仕、配慮、祈りがあったことに気づいた
はずです。
その時に、主や兄弟姉妹のために心を配り、与える心を持った大人の信仰者
になるでしょう。そのようにして、幼い信仰の時には気づかなかった、大きな恵みに
気づきます。御言葉の豊かさに出会います。深い真実な祈りを体験します。