「忠実な歩み」09.03.22
 コリントT 3:18〜4:5
 
「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかに
されます」(5節)と言われます。主なる神は、私たちの良い所だけでなく、
悪いところも見抜かれているということです。義なる神に私の罪を見透かされている
ということは、恐ろしいことです。
裁きを免れないからです。しかし、私たちは、神の前で
恐れながら生きる必要はありません。私たちは、自分が神に義と認められるのは、
自分の正しさによるのではなく、主イエスによることを知っているからです。
 主イエスは、私たちの罪をすべて背負い、私たちに代わって十字架の上で死なれました。
主イエスは神の御子としての御力を、すべての罪人の罪を代わりに担うということのために
発揮されました。当時主イエスの周りにいた人たちだけでなく、後の時代の人々も、そして
ここに集う私たち一人一人の罪を担うという、大きな業を成し遂げられました。まさに神の御子
にしかできない大いなる出来事です。私たちは自分の罪深さを知っていますから、自分の姿を
見ているだけであれば神の裁きを恐れるしかありません。しかし、主イエスの十字架ゆえに、
恐れる必要はないのです。
聖書は、主イエスの十字架を信じる教会の私たちに「おのおのは
神からおほめにあずかります」(5節)と語りかけてきます。神は、私たちの姿を十字架を通して
ご覧になります。罪も失敗も取り除かれた者ですから、断罪ではなくお褒めにあずかるのです。
 私たちはキリストに仕える者として歩みます。主イエスは、大いなる出来事である十字架の
恵みを宣べ伝える務めを、私たちに託しておられます。
私たちを信頼してくださるからです。
十字架を指し示し、伝道する歩みをして欲しいと願っておられるからです。自分の教会生活の中で、
伝道に仕える場所を見出してください。そして、お褒めにあずかる時を楽しみにしながら、おのおの
主イエスに忠実に仕える歩みを進めていただきたいと思います。