「わかってくれる方」09.05.03
 ヨハネ21:15〜19
 
「私を愛しているか」と主イエスは、問いかけてこられます。私たちは何と応えるでしょうか。
胸をはって堂々と「はい、もちろん愛しています」と返事する者でありたいと思います。しかし、
弱く、頼りない者でしかありませんから、小さく消え入るような声で「愛しています…」としか
返事できないかもしれません。けれども、そのような私たちの返事を、主イエスはしっかりと
受け止めてくださいます。

 ペトロの時もそうでした。主イエスから「愛しているか」と問いかけられたペトロは、主イエスの
ことを知らないと言って、弟子であることを三度拒んだ自分の失敗を思い起こしていたでしょう。
自分の弱さに情けない思いを抱きながら「私は弱いです。しかし、それでも愛しています…」
と言います。主イエスは、そのペトロの言葉を、三度繰り返して、しっかりと受け止めてください
ました。弱さを抱えた自分を受け止めてくださる主イエスの前で、ペトロは生きました。
 「わたしを愛しているか」と問われる主イエスは、過去でなく今のことをお尋ねになります。
私たちは、過去に縛られることの多いものです。けれども、主イエスは、十字架にかかって、
私たちの罪や過ちに赦しをもたらしてくださいました。
十字架によって、過去の精算をして
いただきました。ですから、ペトロも立ち上がることができました。
 主イエスは、弱さを抱えるペトロに「わたしの羊を飼いなさい」とおっしゃいます。主イエスの
羊である教会の世話をすることです。その大切な働きをペトロに託されました。
ペトロを信じて
おられるからです。ペトロは、信用されていることに心震わせながら、主イエスに仕える歩みを
続けました。
 私たちの、小ささ、弱さ、失敗を知った上で、主イエスは私たちを受け入れ、信じ、神の民と
しての働きを託してくださいます。
私たちは、その幸いを噛みしめながら、教会で、家庭で、職場で、
主に従う者としての歩みを続けていきます。