「恵みを与えられた人」09.07.12
 エフェソ3:1〜13
 
クリスチャンは、イエス・キリストと深く結びついて生きる者です。「二人は
一体となる」と言われるように、主イエスと二人三脚の人生を進みます。
自分ひとりで、孤独に生きているのではありません。
 自分の人生が、主イエスと結びついていると信じていたパウロは、
たとえ自分が困難な状況に出会ったとしても、落胆しないで歩んでいく
ことができました。彼は、彼に悪意を持つ者の策略によって牢に
入れられていました。牢屋の中という、不安がいっぱいになる状況で、
落胆し、つぶやき、うろたえていたのではありません。彼は、その時も
主イエスとの一体感を味わっていました。主イエスと共に生きている
自分の今の状況が、単なる悲劇で終わらないと信じておりました。
ですから、牢屋の中でも堂々としていました。
 彼が、主イエスとの一体感を、それほど強く感じることができたのは
どうしてでしょうか。彼が、自分の人生を自分専用とせずに、主イエスと
共用のものとして、主に仕える献身の生活をしていたからです。主イエスと
共に生きるというのは、主イエスに助けていただける安心感と同時に、
主イエスの喜びのために生きるという献身の心を持つものです。自分の
ペースで歩き、自分の願いを第一とし、助けられる安心感だけを得ようと
する歩みは、主イエスと二人三脚で生きている実感を得ることは難しいのです。
主イエスに寄り添い、主イエスと共に福音に仕えるときに、私たちの人生は、
主イエスによって強く確かなものとされます。自分のために一生懸命に
生きることで、充実した人生を手に入れられると考える人もいますが、
実際はそうでもないことを眼にすることが多いのです。
 キリストの体の一部とされ、主イエスと固く結びついている私たちの人生は、
すでに神の御心と繋がりのある、確かな人生とされています。私たちは、
家庭でも職場でも、そんな自分であることを忘れないで、主イエスと共に神に
仕える歩みをしながら、主イエスとの一体感を深く味わう毎日を過ごすのです。