「希望に向かう歩き方」09.08.16
 エフェソ4:1〜6
 
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩むように」と聖書は
語りかけてきます。
 主なる神は、天地をお造りになる前から、私たちを主イエスによる救いに
あずかる者として選び出してくださいました(1:4-5)。主イエスも、
「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ」
とおっしゃいます(ヨハネ15:16)。主が、救おうと選び出だし、救いへと
招いてくださったのは、私たちが信仰を持つ前の話です。つまり、
私たちの救いは、神の側の選びと招きから始まったのです。人の罪は
強く頑固ですから、神の働きかけを受けずに、悔い改めに心を向ける
ことはできません。神を拒もうとする罪は、自分自身の力ではどうする
こともできないからです。私たちは、神の働きかけを受けたからこそ、
罪に縛られていた心がほぐされ、溶かされていきました。神の働きかけ
によって、主イエスを信じる者へと変えられていきました。
 クリスチャンは、自分が神の選びと招きを受けて捕らえていただいた存在
であることを、見失ってはなりません。このことを忘れると、信仰生活に
ガタツキが生まれます。自分の信仰の強弱や成長程度に過剰に振り回されて、
傲慢になったり嘆いたりします。取るに足りない自分を選び出だし、
救いへと招いてくださった感激や喜びが薄まり、ガタツキはじめるのです。
 「招かれた者としてのふさわしい生活」とはどのような生活でしょうか。
柔和、寛容、愛など挙げられている態度(2-3節)は、主イエスが、
私たちを選び、招いてくださる時に示してくださったものばかりです。
招かれた者としてのふさわしい生活は、招いてくださった主イエスに
目を注ぐことで生まれてくる生活です。従って、自分を招いてくださった
主イエスの愛、憐れみ、柔和、忍耐に心を震わせ、喜び、感謝することが、
招きにふさわしい生活の第一歩です。その喜びと感謝から、主イエスに
従おうとする心が生まれます。柔和で寛容な心へと、主が押し出して
くださいます。