「成熟した人に」09.09.06
 エフェソ4:7〜16
 
枚岡教会は、来年創立60周年を迎えます。教会創立のために、多くの
兄弟姉妹の祈りと奉仕があったことを知らされています。ただし、教会は
人の都合によって誕生するのではなく、神ご自身の意志によって誕生
するものです。枚岡教会誕生も神の意思によります。
 神が、世に教会を誕生させるのは、人を救いたいからです。イエス・キリスト
の救いにあずからせ、罪の赦し、身体の甦り、永遠の命を与え、ご自身との
永遠の交わりの中に、人を迎え入れたいからです。そのような救いと人が
出会うために、神は教会を誕生させられました。ですから、教会には
「あなたを救いたい」との神の声が響きわたっています。今、教会に集って
いる私たちを、この神の声が包みこんでいます。
 神は、すでに教会に招きいれられ、救われた人と一緒に、救いを広げようと
なさいます。「あなたが必要だ」との声を、小さな私たち一人一人に向けて
くださいます。一人一人が、主イエスから賜物を分け与えられている、
と聖書は言います。その賜物や能力は、自分が楽しむためのものでは
ありません。人の救いのために用いるものです。その賜物を与えられて
いない人はいません。使徒や預言者だけが賜物を受けているのでは
ありません。人の救いのために語り、祈り、教え、励まし、指導して、
奉仕する賜物を与えてくださっています。「聖なる者たちは奉仕の業に
適したものとされる」(12節)。この聖なる者たちとは、神によって教会に
招き入れられているすべての人のことです。私たち小さな存在が
組み合わされて、人の救いのために用いられます。神のみ業に関わらせて
いただく光栄を、私たちは与えられています。
 小さく、弱く、欠けをたくさん抱えている私たちですから、尻込みしそうに
なります。けれども、愛に満ちた眼差しと、「救いたい。必要だ」とおっしゃる
神の慈しみ深い御声が向けられています。それに聴く時、自分の小ささに
心を奪われるのでなく、賜物を用いて人の救いのために仕えようとする
心が生まれます。