「天の父に愛されて」09.09.13
 マタイ 6:9〜13
 
主イエスは、私たちに「主の祈り」を祈るように教えてくださいました。それは、
主なる神に「父よ」と呼びかけることが許されているということです。
これはとても幸いなことです。私たちが祈る相手は、父なる神です。
それは、収穫や健康など、何らかの限定された事柄だけで結びついている
相手ではありません。また、何かを得るか得ないかの、取引相手のように
して向き合う相手でもありません。ご自分と私たちの関係を父と子の関係の
ようにあることを求める神です。深く向き合い、深い交わりの関係です。
 主イエスは、異邦人のように、くどくどと、言葉数の多い祈りをするなと
おっしゃいました(6:7-8)。それは、長く、多く祈ることが問題なのでは
ありません。祈りをささげる相手との信頼の問題です。異邦人は、言葉数の
多い祈りをしました。一生懸命に祈らなければ、神が祈りを聞いてくださらない
と思っているからです。ですから、聞き入れてもらおうとして、何度も繰り返し、
熱心に祈ります。けれども、主イエスが「父よ」と呼びかけて祈るように教えて
くださった神は、そのような他人行儀な神ではありません。親が子の必要を
良く知っているように、必要なものをご存知でいてくださる神です。言葉に
ならないひと言であっても、しっかりと聴き取って下さる方に祈るのです。
 私たちは異邦人のようにではなく、親子のような信頼の中で、祈るのです。
何か限定された事柄だけでなく、信仰のこと、日常生活のこと、職場のことも
家庭のことも祈ります。悲しみだけでなく、喜びも、神さまに訴えるようにして
祈ります。時に言葉数多く、くどくど祈ることもあるでしょう。しかし、
信頼の中での祈りですから、それは、父なる神がお喜びになることであります。
 「主の祈り」を教えていただいた私たちは、信仰によって、神に対して「父よ」
と祈れる者にしていただいています。この深い関係は、たとえ地上の死を
迎えたとしても、決して絶たれるものではありません。