「悲しませてはいけません」09.10.11
 エフェソ4:25〜32
 
「真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」
(24節)と聖書は語りかけてきます。そのような生活のための第一の
勧めは、「偽りを捨て、隣人に真実を語る」ということです。偽りは
隣人(教会の兄弟姉妹)との交わり破壊しますので、捨て去るべき
ことです。「偽り」は、心を覆い自分を隠すことからはじまります。
自分を飾り大きく見せようとするところに、偽りが膨らみます。私たちは、
自分自身を覆い隠し、ごまかす必要などありません。罪を抱え、隠したく
なる自分がそのままで、主イエスの十字架によって救われ、迎え入れて
いただいたことを知っているからです。
 「怒ることがあっても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒った
ままでいてはいけません。」人間はいつも不確かさを抱えていますから、
どんなに正当な怒りであっても、罪が入り込むことがあるとわきまえたい
のです。また、許しを用意していないと悪魔にすきを与えます。悪魔は、
人に「自分は許されない」と思い込ませ、十字架の贖いを疑わせたいから
です。その日の怒りは日暮れまでとし、後はすべてをご存知の神さまに
お委ねするのです。「盗むのではなく、人々に分け与えるようにしなさい。
」クリスチャンは何のために労働するのかといえば、人に分け与えるため
です。「人を造り上げる言葉を語りなさい。」私たちの言葉は、隣人を
愛するゆえの、隣人を造り上げるための言葉であることを、忘れないで
いたいのです。
 問題は、このような生活がなかなかできないということです。考えてみますと、
これらができない時というのは、自分の救いが確信できず、喜びと感謝が
見失われている時でしょう。私たちは、贖いの日の救いを保障されています。
自分の救いを疑うことは、すでに私たちを捉えて離さない聖霊を悲しませる
ことです。救いの確信からくる安心は、自分を偽らなくてもよいことに気付
かせます。イライラを鎮め、行いや言葉に愛を加えます。