「真理の支配する国」09.03.15
 ヨハネ 18:28〜38
 
この聖書の場面には、人間、そして私たちの内にある暗闇が映し出されています。
人々が、主イエスを死刑にするために総督ピラトの所へ連れて行きました。この人々は、
ユダヤの社会の宗教的指導者たちであり、権力者たちです。彼らが主イエスを殺そうと
考えた理由は、妬みでした。ユダヤの人々が、主イエスのなさる恵みの御業を見て、
主を信じ、主に従って行くことを恐れたのです。主イエスは、恵みの御業によって人々を
喜ぶ人に変えて行きました。
38年間動けなかった人が癒され、生まれつき盲人の人が
癒され、死んだラザロも生き返らされました。主イエスによって、それまで苦しみ悲しんで
いた人が、神をほめたたえる人に変わりました。
 しかし、ユダヤの指導者たちは、その人々が変えられたことを喜ぶことはできませんでした。

癒された人を呼び出し、癒され喜ぶ人を目の当たりにします。それでも、彼らは取り調べを続けて、
主イエスの罪を探すことに夢中になっていました。妬みの心は、共に喜ぶことをさせません。
恐ろしい姿です。

 妬みの虜になっていた彼らでしたが、総督ピラトの住んでいる所には入りませんでした(28節)。
外国人のピラトの家に入ると、自分自身が汚れると考えたからです。「人を裁くな。…あなたは、
兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか。…まず自分の
目から丸太を取り除け。」と主イエスはおっしゃいました(マタイ6:1-5)。
 「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:5)とありますように、
人々は、主イエスを理解しませんでした。しかし、その闇の只中に光である主イエスは身を置いて
おられます。闇は、主イエスを追い払うことができません。
ですから、主イエスは、闇を抱える
私たちの前から立ち去ることなく、「私を信じなさい」と迫り続けてくださいます。信じる者を主イエスの
国の民として迎え入れ、永遠の命を与えようとしていてくださいます。