「仕える人」10.01.03
 エフェソ6:1〜9
 
年頭にあたり、この1年をどのように過ごすかを考える方は多いと思います。
その際、普段の生活に関することだけでなく、信仰生活においても目標や
決意を新たにして、この年を踏み出していきたいものです。
 本日のみ言葉には、普段から生活を共にしている人との人間関係における
勧めが語られています。第一は、親子関係です。クリスチャンは、親子関係を
神から与えられた関係と信じ、神抜きには考えません。「父と母を敬いなさい」
という十戒の言葉には、「神が与えてくださった親子関係だからそれを重んじ
る」という意味も込められています。また父親は、神から託された子である
ゆえに、主がしつけさとすように(4節)子に向かうのです。第二の奴隷と主人の
関係においても、神抜きの見方をしません。すべてを見ておられる神の前で、
自分のなすべき務めに向き合うのです。それは奴隷も主人も同じです。
どちらも、いずれは神の前で報いを受けることになります。
 家族や職場など、日常生活での人間関係はさまざまです。私たちは、普段の
生活を神の前でしていることを忘れないでいたいのです。その時に、相手と
どのように向き合い、語り、行うべきかが見えてきます。しかし、神の前である
ことを忘れてしまう時には、罪を伴う人間的な思いに振り回されます。
 この人間関係を考える際に、「キリストに対する恐れをもって、互いに仕え
あいなさい。」(5:21)との言葉をおぼえたいのです。主イエスは、「あなた方は
皆に仕えるものとなり、皆の僕になりなさい。人の子が仕えるために来たのと
同じように。」とおっしゃいます(マタイ20:26-28)。また、弟子の足を洗いながら、
「模範を示した」とおっしゃいます(ヨハネ13:15)。
 ただし、どんなに仕えても、相手が分かってくれず、時に「仕える」ことに疲れを
覚えることもあるでしょう。しかし、主は、私たちのために命を捧げ、仕え抜いて
くださいました。この主イエスの姿が、私たちの仕える歩みを力づけ、支えます。