「励ましを得る」10.02.07
 エフェソ6:21〜24
 
パウロは、エフェソの教会にティキコという人を送り、この「エフェソの信徒への
手紙」を届けさせると共に、パウロの様子を報告させました。パウロの事を聞く
ことで、エフフェソの信徒たちが励ましを得、力づけられると考えたからです。
 その時、パウロは信仰のゆえに捕らえられていました。この手紙は獄中で
かかれた手紙です。パウロのことを心配していたエフェソの信徒たちは、パウロ
が無事でいることを聞いて安心したことでしょう。けれども、それだけでは心に
励ましを受け、信仰を強められることにはならなかったでしょう。
 エフェソの信徒は、ティキコから、パウロが獄中にあってもしっかりと信仰に
たち、神への信頼を揺るがせないで過ごしていることを聞かされたに違い
ありません。
困難な中でも、神に向き、堂々と生きることのできる信仰の力を知らされて、
彼らは信仰の励ましを得たのでしょう。クリスチャンが心に励ましを受ける
というのは、物事がうまくいったという成功話だけではありません。それ以上に、
困難を抱えていてもなおイキイキと信仰生活を続ける様を見る時です。神に
深い信頼を寄せながら、恐れではなく平安の中で過ごす生き様にこそ、
励ましを得ます。そこに、主を信じ生きる者に与えられている、信仰の力を
見るからです。主イエスを知って、主イエスと共に生きている者が手にする、
雄々しさを見るからです。また、困難の只中にいるクリスチャンと共にいて、
支える、主イエスが確かにおられることに気づかされるからです。
 異教徒の影響の強いエフェソの町で生きる信徒たちは、さまざまな悩みや
恐れを抱えていたでしょう。しかし、パウロの様子を聞いて、目の前の困難に
目を奪われる生き方をしなくても良い事に気づかされました。主に救われ、
永遠の御国に向かって進んでいる自分に、主イエスが伴っていてくださること
を思い起こしました。今の時代に生きる私たちも、このことを知っている者と
して歩みを進めるのです。