「キリストに従う人生」10.05.02
 マルコ 1:16〜20
 
「わたしについて来なさい」と主イエスは呼びかけてくださいます。その呼びかけに従い、
主イエスの後に従い、ついて行くのがクリスチャンです。そこに、真に意味ある健やかな
人生が開かれていきます。
 主イエスは、ガリラヤ湖畔で、そこにいた漁師に目を止めて、呼びかけられました。
目を止めた相手に「あなた」と呼びかけるようにして、主は呼びかけられます。そうやって、
彼らは弟子とされていきました。私たちにも、主はそのように目を止めて、呼びかけて
くださったのです。そうやって、私たちはクリスチャンとされたのです。
 主イエスは、大勢の群集を見ておっしゃいました。「飼い主のいない羊のようなありさまだ。」
神から離れるという罪の中で生きる者を、飼い主のいない羊のようだとおっしゃり、深く憐れま
れました(6:34)。主は、目を止めた猟師たちが抱えている罪を無抜かれたことでしょう。主は、
彼らをそのまま放っておくことはできなかったのです。だからこそ「わたしについて来なさい」と
声をかけずにはいられませんでした。主の呼びかけには、愛と憐れみと救いたいという願いが
込められています。主イエスは、「わたしは良い羊飼いだ」とおっしゃいます(ヨハネ10:3-4、
10-14)。主は、そのような羊飼いとなるつもりで、呼びかけてくださるのです。その主に従
う私たちは、詩23編を心から口にすることができるのです。
 主に従うために、持ち物を手放し、置いていくことも必要でしょう。私たちは、なくても良いもの
を抱え込んでいることが多いのではないでしょうか。手放すことで、逆に良いものが与えられること
も多いのです。
 主イエスの後ろに従う私たちは、主を模範としながら、人を愛し、人に仕える心を持って、
歩みを進めていきたいのです。同時に、主の背中のムチ打たれた傷を見ます。主が罪ある
自分を赦すために血を流してくださったことを見ながら歩みを進めます。それは、心震えるような、
感謝と喜びのある歩みです。