「祝福の源」10.05.30
 創世記 12:1〜4
 
神から「あなたを祝福する」との宣言を受けながら生きるならば、それはとても幸せな人生です。
祝福するということは、神が自分のことを心にとめ、味方であり続けてくださるのですから、
とても心強く安心して生きることができます。アブラハムは、神に選び出されてそのような
人生に招き入れられました。
 アブラハムが祝福された幸せな人生に招き入れられたのには、理由がありました。
「祝福の源」と言われます。祝福されたのは、祝福を独り占めにするのではなく、他の人々に
祝福を広げていくためでした。それが祝福された者の人生です。アブラハムだけでなく、
祝福された者は祝福の源となるようにと、神は願っておられるのです。私たちクリスチャン
に対してもその願いが向けられています。
 神からの受けた祝福、救い、恵み、喜び、平安などを自分ひとりで抱えている生き方は、
聖書の信仰生活ではありません。神の願いと違っています。周りの人の祝福を願い、周りの
人に心を注ぎ、伝道をすることがアブラハム以降くりかえし求められてきた聖書の信仰生活です。
 主イエスは、「愚かな金持ちの話」をしてくださいました(ルカ12章)。収穫と言うのは神から
与えられた恵みですが、それを「自分のものだ」といって独り占めする貪欲な姿を戒められました。
分け合うことをせず独り占めすることは、豊かさを失い、さまざまな問題を生み出していきます
 「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきでは
ありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも
ご自分の満足はお求めになりませんでした。」(ローマ15:1-3)とあります。他の人の祝福、
喜び、満足を求め、伝道する生き方は、主イエスと共に進む歩みとなります。主イエスと
一緒の方向を向くのですから、主イエスと隣りあって歩むことになるのです。