「神は聖書をくださった」10.06.27
 テモテU 3:10〜17
 
主イエスが、荒野で悪魔から誘惑をされたときにおっしゃいました。「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出るひとつひとつの言葉で生きる。」神さまに造られた人間は、聖書を通して語りかけてくる
神の言葉が必要です。そのように造られています。ですから、どんな時にも『聖書』を、肌身離さず手元に
置いておきたいと思います。
 聖書は、神が聖霊によって人に働きかけ、聖霊の導きの下で書かせたものです。ですから、本ではあっても
一般の本とは違い、神の言葉として人に迫り、魂に響くのです。しかも、今生きて働いておられる神の言葉
なのですから、その時の自分に対して一番必要な言葉を、響かせてくれます。神の語りかけの言葉を
聴きながら生きていくことが出来るのは、幸せなことです。今の自分に語りかけてくださるということは、
神が今の自分に心を向けていてくださるということです。神と無縁の所で生きているのではないということです。
 戦争を経験されたある牧師は、戦地に小さな聖書をもって行き、夜な夜な隠れてむさぼり読んだという話を
してくれました。そして、「聖書があって本当に良かった」と、何度も話してくれました。戦争という人間の罪の
極みのような状況の中で、自分の罪や弱さを痛感し、そして何よりも死を身近にしながらすごしていたことでしょう。
けれども、罪の泥沼のような所でうめき震えている自分に語りかける神の言葉を、聖書を通して聴くことができた。
罪の赦し、体の甦り、神の愛…それを聴くことで、何とか生きることができたということでしょう。聖書の言葉は、
人を生かそうとして語りかけてくる神の言葉です。
 聖書は自然に出来たものではなく、神が、霊の導きのもとで、人を用いて書いてくださったものです。神が、
聖書を通して人に語りたいと願われたからです。聖書を通して語り、人をイエスの救いの中で生かしたいと
願われたからです。聖書が存在していること自体に、救いたいとの神の熱意がこめられています。