「試練の中で」10.08.15
 
創世記 22:1〜14
 「クリスチャンは、将来に背を向ける…(神を)信じてさえいるならばその姿勢をきちんと定められるのです」
とある人は言いました。これはもちろん、希望を失った姿や、その場限りの生き方の勧めではありません。
主イエスが「明日のことまで思い悩むな」とおっしゃったように、神に信頼して将来のことをお委ねしながら生き
られるということです。
 アブラハムは、神から、大切な息子を献げるようにと命じられました。アブラハムは、その言葉に従って、
指名された山に向かって進んで行きます。彼には、神のお考えが分かっていたのではないでしょうし、
不安や恐れで一杯であったでしょう。そのような苦しい気持ちの中で言いました。「焼き尽くす献げ物の小羊は
きっと神が備えてくださる。」このことを信じながら、一歩一歩足を踏み出していきました。彼は、神の言葉に
従い続けます。そして、最後の最後に、信じた通り神が備えてくださった羊の献げ物を得ました。この出来事に
よって、彼は、神は備えてくださる方だとはっきり知ることができました。
 アブラハムと同じ状況ではなくとも、「どうしてこんなことが」と思う状況に出会うことがあるでしょう。神さまの
お考えが分からないで、不安で一杯になることもあります。そんな時にも、私たちは「主が備えてくださる」と
固く信じることができます。それを信じるゆえに、嘆きや恐れに心を支配されませんし、望みを失いません。
 クリスチャンの被爆者の姉妹の証を聴く機会がありました。身体の不調を抱え、家族を亡くし、不安も一杯
ある生涯であったと思われますが、自分を支え、必要を備えてくださる神への信頼があふれていました。
神に将来をお委ねする信頼が、悲しみや不安より強いと思わされました。それゆえ、望みを失うことなく歩んで
こられたのだと思いました。
 私たちの歩みを、まどろむことなく見つめ、見守る神は、将来の必要を備えてくださるお方です。