「人を守る戒め」10.10.10
 マルコ2:23〜3:6
 
「安息日を覚えてこれを聖とせよ」との言葉を、神さまは十戒の中で与えてくださいました。これは、神さまが、
イスラエルが神さまの民であり続けられるようにと願って与えてくださった戒めでした。私たちもこの戒めを
受け止めて、クリスチャンとして歩んでいくために、日曜日の安息日を大切にしています。
 今日の聖書の場面に、安息日を巡る二つの出来事が記されていました。主イエスの弟子たちが麦の穂を
摘んだことで、安息日には仕事をしないという定めを破ったと、ファリサイ派の人たちから非難されました。
その非難に対して、主イエスは、安息日の本来の意味を明らかにしていかれました。安息日に仕事をしない
のは、肉体だけでなく心も安息を得るためです。そのためには、ただ仕事をしないというのでなく、天地創造を
完成されて7日目に休まれた神のお姿を見つめるのです。6日間この世の生活を続け、罪のあふれている
世界を生きることで、私たちの心は疲労します。それゆえ、目に見えているこの世から目を離し、真にこの世
を治めている天地を完成された神を思い起こす必要があります。そこで、信仰者の心は安息が与えられ、
神の民としての健やかさを取り戻します。
 また安息日の主である主イエスを見つめます。この世の旅路を歩む私たちは、誘惑を受け、また自らの弱さ
のゆえに、罪を犯し懺悔すべきことを抱えてしまいます。自らの罪深さゆえに、心は重くなります。しかし、週に
一度、その罪を担って十字架にかかって死んでくださった主イエスに目を注ぐのです。「重荷を負う者は誰でも
私のもとに来なさい。休ませてあげよう」との主イエスの言葉を聴かされて、私たちは、罪赦されたことによる
真の安息を得るのです。
 主イエスは、安息日に手の萎えた人を癒されました。安息日に心の安息を得た者は、それで終わるのではなく、
主イエスのように隣人を愛する者となるのです。主は、人を愛することの少ない私にも「手を伸ばしなさい」と
おっしゃり、愛する者に変えてくださいます。