「わたしのそばにいなさい」10.11.07
 マルコ3:7〜19
 
主イエスの噂を聞いて集ってきた群集と、主イエスに呼び寄せられた弟子たちが登場します。<主イエスが山に登って、
これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集ってきた。>(13節)この弟子たちの姿は、教会に集う私たちにも
重なる姿です。
 群集と弟子の違いとして、弟子は主イエスがこれと思う人々を呼び集められたという点があります。自分ではなく主イエス
によって選ばれる(ヨハネ15:16)所に、私たちの信仰の出発点があります。主からの働きかけを受けるからこそ、群集から
弟子へと身を置く場所を変えることができます。日本的宗教観のキリスト教と無縁の所で生きている者が、主イエスを信じ
信仰を告白するように変わるには、自分の気持ちだけでは決断できないことでしょう。主イエスからの呼びかけを聴き、
働きを受けるからこそ進み出せるのです。
 主イエスは、山に登って選ぶ人を決めていかれました。山は神と出会う場所であり、祈る場所でもありました。主イエスは、
神と共に、ご自分の元に呼び寄せる人をお選びになります。「これと思う人」は、「み心にかなう人」のことです。自分や、
兄弟姉妹がそのような存在であることを知らされます。弟子たちも、私たちも普通の人でしかありません。ですから、
主イエスに選ばれたことが信じられない思いになります。けれどもご自分が選び出した弟子たちに、主イエスが力を与え、
支え、導き、教会を生み出させていきます。弟子たちも私たちも、自分の力ではなく、呼び寄せてくださった主イエスに頼る
生き方をするのです。
 「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」(14-15節) 私たちは
主イエスのそばに置いていただき、主イエスと共に生きる幸せを与えられています。それは、その恵みを独り占めするため
ではありません。その幸いを宣教し、人に届けるためです。アブラハムが多くの民の祝福の源として祝福されたように、
私たちも救いの源となるために主に呼び集められたのです。