「嘆きに代えて喜びを」10.12.05
 イザヤ61:1〜4
 
主イエスが、人々に神の国の福音を語り始めた時、会堂でイザヤ書61章を朗読され、「この聖書の言葉は実現した」
おっしゃいました(ルカ4:16〜)。このイザヤ書の言葉から、主イエスがクリスマスにお生まれになった理由を知らされます。
 第一に、主は、貧しい人に良い知らせを伝えるためにお出でになりました。貧しい人とは、力のない弱い存在のことです。
そのような人にとっては、「自分は弱くても、力ある方が自分と一緒にいてくれる」ということが良い知らせとなるでしょう。
主は、弱く貧しい人々に歩み寄り、その人たちの身に神の力をあらわしていかれました。主は「インマヌエル(神は我々と
共におられる)」と呼ばれる方です。貧しい私たちが神の力に満たされることを知らせ、それを実現していかれる方です。
 第二に、打ち砕かれた心を包むためにお出でになりました。打ち砕かれた心は、自分の罪を認め悔いる心です(詩51)。
そのような心に必要なのは、罪の赦し以外にありません。主イエスが罪人を赦しで包むために生まれたことは、その歩み
が徹頭徹尾十字架に向かっていることでも明らかです。「あなたの罪は赦された」と語る主が、私たちを包み込んでくれます。
 第三に、捕らわれ人を解放するためでした。主は、愛によって人に仕える自由な生き方を教えてくれました(ヨハネ13:13-15、
ガラテヤ5:13-14)。神を愛することも人を愛することも出来ないでいる人に、主は大きな愛を注がれます。そして、「私が愛する
ように、あなたも愛する者となりなさい」とおっしゃいます。主に愛されることによって、愛を忘れて自己満足に捕らわれていた
人が解放されます。主は、人を、神と隣人を愛する自由の中で生きるものにして下さいます。
 私たちは、そのような主イエスに養われています。貧しいにもかかわらず神の力によって支えられ、罪の赦しを与えられ、
愛することを教えられ、神と隣人を愛する人生へと進み出す力を与えてくださいます。