「和解をもたらす神の御子」10.12.12
 コロサイ 1:13〜23
 
<あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は
御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、
とがめるところのない者としてくださいました。>聖書は神と私たちの関係をこのように言います。
 神から離れていた私たちと、神の方から和解し、私たちを受け入れてくださいました。「放蕩息子の
たとえ話」(ルカ15章)を思い起こします。父(神)のもとを離れて生きていた息子(人)でしたが、父から離れる
ことによって惨めな生活に陥ってしまったことに気づき、父のもとに戻ろうとします。父は、帰ってきた息子が
まだ遠く離れている時に見つけ、走り寄り抱きしめました。息子との距離を詰め、和解して関係を回復して
いったのは、走り寄った父でした。父の愛によって、離れていた息子は赦され、受け入れてもらえました。
 神が、和解し罪によって生じた距離をなくしてくださることは、大変ありがたいことです。ただ、それが
決して簡単な事ではなかったことを知るべきです。和解のためには、主イエスの十字架の死が必要でした。
<わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。>(14節)とあります。
「贖い」は、買い取ることです。神は、罪と闇の奴隷のようになっていた私たち人間をご自分のものとするために、
支払いをして買い取ってくださいました。主イエスが十字架で死んで流された血を、その代価として支払い、
人間を贖ってくださいました。私たちを神のご支配のもとにおくために、神と等しい主イエスの血という、
とてつもなく高価な支払いがなされました。神と私たちの間にあった隔たりの大きさと、それでも贖って
くださる神の愛の大きさを思い知らされます。
 今や、私たちは神の御前に憩うものとしていただいています。放蕩息子を抱きかかえる父のように、
神が私たちを抱きかかえてくださいます。すでにクリスマスが起こり、主による和解のわざは完成したからです。