「実を結ぶためにすること」11.01.09
 マルコ 4:1〜20
 
主イエスは、群集に神の国の福音を語っておられました。「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。あなたも罪を赦されて、
神の国の一員として迎え入れてもらえます。神なしで生きるのでなく、神に抱きかかえられるようにして生きていけます。」しかし、主の話
を聞いた者すべてが、その福音を信じたのではありませんでした。人間のかたくなな心をご存知の主は、「聞く耳のあるものは聞きなさい」
とうめくように叫ばれ、たとえ話をされました。蒔かれた種が豊かに実を結ぶのは、道端でもなく、石地でもなく、茨の生えている土地でなく
、良い土地であるという話でした。神の言葉も、良い土地のような心で聞く人の中で実を結び、救いの喜びをもたらすのです。
 主は、私たちひとりひとりに、「あなたはどの土地のような心でいますか」と問いかけてこられます。道端は、人間が踏み固めて出来た
ものです。人間が歩きやすい場所で、人間優先の場所です。神よりも自分が優先されている心では、神の言葉を受け入れられず、
実を結べないのは当然です。この道端のような心は、未信者の人だけのものではありません。自分のことを第一とする心は、クリスチャン
にも湧き上がります。石地のような心は、何か問題が起こると御言葉から離れてしまう心です。御言葉に根付いていない信仰生活です。
<あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、
教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。>(コロサイ2:6-7)茨の生えた土地は、信仰の成長を阻む
誘惑に振り回されている心です。誰もが経験することであり「試みにあわせず悪より救い出したまえ」と真剣に祈ることが必要です。
 主は、福音を信じ、救いの喜びの中で生きることを願っておられます。私たちが良い土地となって御言葉を受け入れることを心から願い、
そしてそうなることを信じて、揺れ動く者にも語り続けてくださいます。